つれづれ日記

思いついたことを気ままに書いていきます。

20系寝台客車公開イベントに行ってきた

 こんにちは。10月も下旬に入って朝昼ともに過ごしやすくなりました。完全に秋ですね。芸術の秋、食欲の秋、スポーツの秋…と言われるように、秋は何かをするのに最適な季節です。

 さて今日は久しぶりに鉄道ネタを投下したいと思います。10/21と10/22は福岡市東区にある貝塚公園で保存中の20系客車一般開放イベントが行われました。本日22日の午後、私は開放イベントに初参加してきましたのでその様子を報告したいと思います。それでは参りましょう。

 本日は福間から出発です。813系は200番台と1100番台が輸送力向上と称してドア付近の座席を撤去しましたが、0番台と100番台はなぜかそのまま。この基準は一体何でしょうかね?鹿児島本線に乗って千早へ向かいます。

  

 千早から西鉄貝塚線に乗り換えました。西鉄600形も置き換えが発表されたのでしっかり記録しておきます。

 貝塚公園は貝塚駅の目の前にあって迷うことなく行けました。ところで貝塚駅から貝塚公園入ってすぐの場所にあったこの飛行機は一体何でしょうか。郵便局マークがあるので郵便機?

 本日の開放イベントの目玉の一つ9600形蒸気機関車です。今回は機関室も見ることができましたが、野ざらしのせいか外観内観、そして展示板すべてがボロボロです…。

 20系客車の外観です。現在でも通用するかっこよく美しいデザインです。20系客車はデビュー当時「走るホテル」と呼ばれ、一世を風靡しました。しかし、後継車両に次々と置き換えられ、廃車・解体が進みました。現在残っている20系は貝塚公園と鉄道博物館にしかありません。

サボと幕は晩年に使用された「急行 かいもん」(門司港西鹿児島)になっていました。2004年までJR九州が運転していた夜行特急ドリームつばめ(博多~西鹿児島)の前身ということを考えれば、納得のチョイスでしょう。

 列に並んだあと、20系客車内にいよいよ入りました。まずは車掌室から。我々鉄道マニアからしたら憧れの空間ですが、現場の人からはあまり好まれなかったようです。国鉄時代車掌だった坂本衛が書いた『昭和の車掌奮闘記』によれば、ナハネフ22の車掌室は夏暑く冬寒い状態だし、ガラス張りの大きい窓は衆人監視されているようで、大抵の車掌は中間車両の車掌室に陣取ることが多かったとか。

 次に20系客車の車内です。この車内を見ると未だに興奮してしまいます。夜間駆け抜ける中、折り畳み式腰掛けに座って外を見ながら物思いに耽って見たかったなあ…。

20系の寝台です。枕、シーツ、浴衣も展示されていましたが、浴衣はJNR(国鉄)でなくJRだったのがちょっと残念。

上段寝台と下段寝台です。心なしか狭いような気が…。

 最後は洗面化粧台です。朝に起床した乗客はここで顔を洗いますが、注目するべきは洗面台の左にある陶器製の穴付き壷です。これは痰壷と呼ばれ、昔はここに痰を吐いていたとか…。今では考えられませんね。

国鉄時代の優等車両には水がタダで飲める給水機が設置されていました。車内を一通り見た私は早めに元来た道を辿って帰宅しましたとさ。

 本日はこれでお開きです。拙い文章&画像でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

(終)