つれづれ日記

思いついたことを気ままに書いていきます。

歴史探訪:九州鉄道の遺構散策記(2024/3/9)

 こんばんは。3月も中旬に入り、日中が暖かくなっていよいよ春の訪れを実感できるようになりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 閑話休題。先週の9日、私は職場へ休日出勤していました。休日出勤は午前中で終わりましたが、せっかく北九州市まで出勤したのにそのまま帰るのは勿体ないと考え、職場近くにある九州鉄道株式会社(※現在のJR九州こと九州旅客鉄道株式会社とは別会社)の遺構を散策することにしました。それでは参りましょう。

 

2024年3月9日

この日は職場近くのバス停から西鉄バスに乗って岩淵橋にやってきました。

岩淵橋から10分ほど歩くと、九州鉄道茶屋町橋梁に到着しました。

 案内板によると、鹿児島本線は開業当初、小倉~黒崎は内陸の大蔵を経由していました。しかし、その後鹿児島本線は海沿いの戸畑経由に変更され、小倉~大倉~黒崎は大蔵線となりましたが、当時大蔵線と併走していて最初から電化済みだった九州電気軌道(後の西鉄北九州線)に太刀打ちできず廃線となりました。

 大蔵線は廃止されましたが、茶屋町のレンガアーチは残されました。そのおかげで大蔵線の痕跡を今に伝えています。

 茶屋町橋梁を撮影後、私は岩淵橋バス停まで戻ってそこから西鉄バスに乗り込みました。そして三条バス停で下車しました。

三条から少し歩くと、九州鉄道の大蔵橋脚遺構でした。

案内板によると、川に残っていた九州鉄道大蔵橋梁を引き上げて保存されたようです。川の中に放置されていたら浸食作用でいずれ消失していたでしょうから、この判断は正しかったと思われます。

大蔵橋梁遺構から少し歩くと、大蔵公園があります。

実はこの大蔵公園、かつて九州鉄道の大蔵駅があった場所でした。今は住民の憩いの場がかつて幹線の駅だったなんて信じられません。

 撮影を済ませた私は大蔵公園近くの大蔵バス停から西鉄バスに乗り込み、皿倉小学校前で下車しました。

皿倉小学校の近くには九州鉄道の尾倉橋梁遺構があります。茶屋町橋梁遺構と同じアーチ橋ですが、違うのは橋の上に道路があって現役だということです。

尾倉橋梁は高さ制限があって2.0mより高い自動車は通れません。

アーチの中は昼でも薄暗く、どこか異世界に通じていそうな雰囲気が漂っています。

尾倉橋梁の反対側から撮影。実は橋梁遺構の上に民家が建っています。茶屋町橋梁から大蔵公園付近を通って尾倉橋梁まで鉄道が通っていたという事実と遺構から、新たに歴史を知ることができて大満足でした。この後、尾倉町バス停から西鉄バスに乗って八幡駅まで行き、そこから帰りましたとさ。

 今回はこれでお開きとします。拙い文章&画像でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

(終)