つれづれ日記

思いついたことを気ままに書いていきます。

久大本線に客レ復活!?

 こんばんは。異動の日が近づき、今の職場の荷物を整理しているブログ主です。別れは淋しいですが、新天地での仕事は楽しみだったりします。

 閑話休題。前回の記事でSL人吉号のラストランのニュースを取り上げました。

renewalopenno3.hatenablog.com

SL人吉号の牽引機の58654号機は人吉市へ無償譲渡され、保存されることが決まりました。残るは客車ですが、今日になって動きがありました。

news.mynavi.jp

SL人吉号の客車は国鉄時代に製造された50系を改造したもので、本来のSL人吉号以外だと団体列車などで実績こそありましたが、まさかの久大本線臨時快速ゆふいん号に抜擢されることになりました。

JR九州塗装のDE10+SL人吉号の50系客車+58654号機

 久大本線は20世紀末の1999年頃までDE10牽引の定期客車列車が運転されていました。外見・塗装こそ国鉄時代から変わっていますが快速ゆふいん号はDE10+50系ですので、期間限定ではありますが、久大本線に一般客が乗れる客車列車が復活することになります。快速ゆふいん号は旅名人の九州満喫きっぷに指定席を足せば乗れるので、普通列車のみでは接続が悪くて時間がかかる久大本線走破にも使えそうです。個人的にはSL人吉号に結局乗れずじまいでしたので、是非乗ってみたいものです。

 今回はこれでお開きとします。拙い文章&画像でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

(終)

別れと新たな始まり

 こんばんは。3月も下旬に突入し、朝昼暖かい日が増えていよいよ春本番です。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 本日2024年3月23日はJR九州の観光列車SL人吉号がついに定期運用でラストランを迎えました。

news.livedoor.com

力走を見せるSL人吉号。晩年は鹿児島本線鳥栖~熊本を走行していた。

SL人吉号の牽引機であるハチロクこと58654号機は大正時代に製造された蒸気機関車で、鉄道ファンのみならず多くのファンから人気でした。しかし、蒸気機関車を運転するための維持が難しくなったこともあって、100年経った節目に引退することになりました。一応58654号機は人吉市の方で動態保存される見通しですが、本線を走らない以上どこか淋しいものです。

 閑話休題。ここからはブログ主である私の話になります。春は別れと旅立ちの季節とはよく言ったものです。3月を以て現在の職場を離れることが決まり、そして昨日新天地への異動が決まりました。

若松と戸畑を結ぶ若戸大橋洞海湾

 新天地は同じ北九州市でも若松区で、現在の八幡東区よりやや遠くなります。その上、昼出勤からの夜間勤務と変則的になってしまうのがネックですが、今の職場によくあった休日出勤やサービス残業が全くないため、悪くない異動だと考えています。おまけに若松区の方は北九州市の中でもあまり行ったことがないので、よく知るチャンスです。また、朝が苦手な私にとって早起きの必要がないことも大きいです。2024年こそ公私ともに実りある一年にしていきたいですね。

 今日はこれでお開きとします。拙い文章&画像でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

(終)

歴史探訪:九州鉄道の遺構散策記(2024/3/9)

 こんばんは。3月も中旬に入り、日中が暖かくなっていよいよ春の訪れを実感できるようになりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 閑話休題。先週の9日、私は職場へ休日出勤していました。休日出勤は午前中で終わりましたが、せっかく北九州市まで出勤したのにそのまま帰るのは勿体ないと考え、職場近くにある九州鉄道株式会社(※現在のJR九州こと九州旅客鉄道株式会社とは別会社)の遺構を散策することにしました。それでは参りましょう。

 

2024年3月9日

この日は職場近くのバス停から西鉄バスに乗って岩淵橋にやってきました。

岩淵橋から10分ほど歩くと、九州鉄道茶屋町橋梁に到着しました。

 案内板によると、鹿児島本線は開業当初、小倉~黒崎は内陸の大蔵を経由していました。しかし、その後鹿児島本線は海沿いの戸畑経由に変更され、小倉~大倉~黒崎は大蔵線となりましたが、当時大蔵線と併走していて最初から電化済みだった九州電気軌道(後の西鉄北九州線)に太刀打ちできず廃線となりました。

 大蔵線は廃止されましたが、茶屋町のレンガアーチは残されました。そのおかげで大蔵線の痕跡を今に伝えています。

 茶屋町橋梁を撮影後、私は岩淵橋バス停まで戻ってそこから西鉄バスに乗り込みました。そして三条バス停で下車しました。

三条から少し歩くと、九州鉄道の大蔵橋脚遺構でした。

案内板によると、川に残っていた九州鉄道大蔵橋梁を引き上げて保存されたようです。川の中に放置されていたら浸食作用でいずれ消失していたでしょうから、この判断は正しかったと思われます。

大蔵橋梁遺構から少し歩くと、大蔵公園があります。

実はこの大蔵公園、かつて九州鉄道の大蔵駅があった場所でした。今は住民の憩いの場がかつて幹線の駅だったなんて信じられません。

 撮影を済ませた私は大蔵公園近くの大蔵バス停から西鉄バスに乗り込み、皿倉小学校前で下車しました。

皿倉小学校の近くには九州鉄道の尾倉橋梁遺構があります。茶屋町橋梁遺構と同じアーチ橋ですが、違うのは橋の上に道路があって現役だということです。

尾倉橋梁は高さ制限があって2.0mより高い自動車は通れません。

アーチの中は昼でも薄暗く、どこか異世界に通じていそうな雰囲気が漂っています。

尾倉橋梁の反対側から撮影。実は橋梁遺構の上に民家が建っています。茶屋町橋梁から大蔵公園付近を通って尾倉橋梁まで鉄道が通っていたという事実と遺構から、新たに歴史を知ることができて大満足でした。この後、尾倉町バス停から西鉄バスに乗って八幡駅まで行き、そこから帰りましたとさ。

 今回はこれでお開きとします。拙い文章&画像でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

(終)

あの大震災から13年

 こんばんは。今日は3月11日、東日本大震災が発生した日であの日から13年経ちました。月日の流れはあっという間で、13年も経つと震災の記憶は風化しがちです。そのせいであの震災は終わったものと錯覚してしまいます。

東日本大震災から5年経った2016年に呈示されたステッカー

 しかし、未だに仮設住宅暮らしを強いられている方々や津波による原発事故で故郷に帰れない人もいます。東日本大震災はまだ終わっていないのです。

 その状況下で今年の元日、能登半島地震が発生しました。日本列島は災害が多いことを改めて認識させられた以上、防災を意識した社会を作っていくことが必要なのではないでしょうか?

 今日はこの辺でお開きとします。拙い文章&画像でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

(終)

北九州市民球場でオープン戦をふらっと観戦してきた(2024/3/2)

 こんにちは。3月に突入しました。3月は春の訪れを実感する日が増えますが、その一方で別れと花粉がやってきて時に涙するのが辛いですね。そして今日は桃の節句でもある3/3です。尤も桃の節句は旧暦の3/3であって現在の暦に直せば4月辺りになりますが…。

 つまらない時候の挨拶はこのくらいにして本題に入りましょう。私のX(旧Twitter)をチェックしていた人なら既に知っているでしょうが、実は昨日オープン戦現地に行ってきました。北九州市民球場での福岡ソフトバンクホークス vs 横浜DeNAベイスターズ戦です。北九州市民球場は自宅からだとちょっと遠く、時間と交通費がネックでした。しかし、現在の私は北九州市勤務でJRと西鉄バスの定期券を持っており、また試合は土曜日のデーゲーム開催だったため、時間と交通費をクリアできると踏んで現地観戦を決めました。チケットぴあで席を確保し、後は当日のお天気を祈るだけとなりましたが…。

 

2024年3月2日

この日は福間から出発です。813系200番台は、直方のRG228を除き、全てドア付近の座席が撤去されましたが、今度はロングシート化されるそうなので今のうちに記録しておきます。途中陣原で下車して撮影した後、陣原から筑豊本線からの直通列車に乗り換えて黒崎に着きました。

なぜ小倉ではなく黒崎で下車したのかというと、北九州市内の西鉄バスが乗り放題の得パスを持っていたからです。社会人になっても削れるところは削ります。

 しかし、これが大誤算でした。22番に乗って北九州市民球場の最寄バス停三萩野まで行けたのは良かったのですが、途中で遅延が拡大していき、三萩野に着く頃には大幅に遅れてしまいました。この日は土曜日ということもあって特に乗客が多く、また北九州市は高齢化が進んでいることもあって、バスの乗降に時間がやたらかかっていました。北九州市民球場へ行くときは大人しく小倉までJRで行き、そこからモノレール移動が堅実であることを痛感しました。タダほど高いものはありません。

 黒崎駅から三萩野バス停までかなり時間がかかりましたが、三萩野から北九州市民球場まで歩いてさらに10分ほどかかりました。

やっと目的地である北九州市民球場に到着しました。…が、私がチケットを取った席は外野自由席で、ここからさらにぐるっと半周する羽目になりました。

今度こそ目的地に到着です。福岡ドームに行ったことはありましたが、北九州市民球場は初めてです。北九州市民球場の外野席はバックネット裏から入るんですね。

この日はバックネット付近に陣取りました。北九州市民球場は狭いですが、フェンスが高いです。

着座した時には3回裏まで進んでおり、この日先発だった大関友久は3回投げて奪三振2、与四死球1、被安打2の無失点でした。

レフトスタンドのビジター席には横浜DeNAベイスターズファンが陣取っていました。北九州市にもそれなりのベイファンがいるのですね。

 ここだけの話ですが、2012年5月31日に横浜DeNA主催で福岡ソフトバンク相手に北九州市民球場で公式戦を開催したことがあります。横浜DeNAの前身球団である大洋ホエールズが昔北九州市関門海峡を挟んで隣の下関に本拠地を置いていたのと、ホークス戦での集客力目当てだったとか…。

 試合は4回に動きました。4回表、大関から替わった古川が3安打され無死満塁のピンチを招き、勝又に犠牲フライを打たれて先制を許しました。その後2死までこぎつけますが、バトルフェイス京田に追加点となるタイムリーを浴びて計2失点。この時の私はイラつきから思わず声を荒らげてしまいました。

 しかし、4回裏でした。DeNAの投手は東克樹から、今年からDeNAに移籍した森唯斗へ継投します。先頭の近藤健介がレフトへ流し打ちのヒットで出塁すると、西武からホークスへFA移籍してきた戒め野郎山川穂高がフェンス直撃のタイムリ二塁打で1点差に。その後2死三塁となったところで復活を狙う今宮がセンターへタイムリーを放ち、同点に追いつきました。

 5回も試合は動きます。5回表、古川から大津に替わりましたが、2安打で無死一三塁のピンチを招いてしまい、DeNAのルーキー石上にサードへのボテボテの内野安打で勝ち越しを許してしまいます。しかし、続く関根をサードフライ、勝又を二ゴロ併殺打に仕留めて最少失点で切り抜けました。大津亮介は台湾の楽天モンキーズ戦でも初回に3失点を許しており、立ち上がりが課題みたいです。

 5回裏も森唯斗が続投しました。谷川原、周東はあっさりアウトになりましたが、柳田の代走で出場していた育成の緒方理貢がライトへヒットを放った所から流れが変わります。近藤健介に代わって出場していた柳町達がヒットで繋ぎ、2死一三塁となったところで山川の代打甲斐拓也がレフトへ逆転3ラン!甲斐は北九州市民球場と好相性だったのは知っていましたが、「お前がチームオープン戦初ホームランを打つんかい!」と思わずツッコミたくなる展開でした。何がともあれ、現地は大盛り上がりでした。

5回裏はグラウンド整備が行われました。そしてファンサービスとしてハリーホークが道具を使ってスタンドへボールを発射しました。

6回から再び試合は落ち着きました。6回表から板東に交代し、板東は2イニング投げて無安打無四死球無失点の好投で、私が見た試合で最もストレスなく見られました。

7回裏では昨年途中から解禁されたジェット風船が飛びました。コロナ禍を経て誕生したジェット風船は専用ポンプでないと膨らませられないよう改良されており、衛生面に配慮されています。

 本当なら試合終了まで球場に居たかったのですが、香椎へ急用ができたため、惜しみながらも球場を後にしました。ちなみにホークスは8回9回も無失点で抑え、そのまま勝ちました。そして北九州市民球場ですが、プロ野球公式戦がある時は小倉駅までの直行バスが運行されるんですね。おかげで帰りは楽でした。

小倉駅から快速電車に乗って香椎へ直行しましたとさ。

 オープン戦とは言え、8年ぶりの現地観戦はすごく楽しかったです。甲斐の逆転3ランなど見どころたくさんしたし。唯一の心残りはゲームセット時まで球場に居られなかったことでしょうか。次回はちゃんとした公式戦で見に行きたいですね。

 今日はこれでお開きとします。拙い文章&画像でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

(終)